February 12, 2022

伝説的ライダー「マイアミのバイクの女王」ベッシー・ストリングフィールドを知っていますか?

伝説的ライダー「マイアミのバイクの女王」ベッシー・ストリングフィールドを知っていますか?

1930年黒人女性初の単独アメリカ横断!〜時代を先取り駆け抜けた魅力あふれるライダー

 

こんにちは。本日もおつかれさまです。

本日は、「マイアミのバイクの女王」と呼ばれた伝説的ライダー、ベッシー・ストリングフィールド(1911-1993)についてご紹介します。

ベッシーは、19歳で黒人女性として初の単独アメリカ横断を成し遂げた女性として知られています。

そして、寝る所がない夜にはバイクをベッド代わりにしたり、人種差別が色濃く存在していた時代に旅を続け、カトリック教徒でありながら6回も結婚と離婚を繰り返したりと、エピソード満載です。

時代を先取りしつつひた走る、勇敢で生き生きとした魅力的な女性がいたことに驚きながら、それでは伝説の女性ライダーを追いかけてみましょう!


【ベッシー・ストリングフィールド】

ベッシー・ストリングフィールドは、生前は主にバイク愛好家たちの間で知られていました。最近ではその悪女ぶりも語り継がれ、フォークヒーロー的な存在となっています。

1911年、ジャマイカ系アメリカ人の家庭に生まれたベッシーは、東海岸で育ちました。16歳のときに最初のバイク、インディアン・スカウトを贈られました。その後の36台のバイクは、すべてハーレー・ダビッドソンでした。

天才的なバイク少女であり、独学でバイクを学び、1930年に19歳で初めてアメリカ横断を果たしました。その後、最終的には8回達成します。

それがなぜすごいかというと、その頃のアメリカでは、高速道路やオートバイはまだ新しい概念で、ジム・クロウ法(1876-1964年、人種差別的内容を含むアメリカ南部諸州の法律)も生きていたのです。

成人してライダーとして経験を重ねると、東海岸からフロリダ州マイアミに引っ越し、そこでバイククラブを設立しました。けれども女性メンバーは彼女一人、メンバーのほとんどは労働者階級の黒人男性でした。

噂によれば、ベッシーは何年間も男性に変装しクラブを運営していましたが、あるときバレてしまったということです。

民衆のヒーローの例に違わず、ベッシーにまつわる話は生き生きとしてとても魅力的です。

例えば、彼女の旅の計画方法はとてもユニークで、アメリカ地図に硬貨を落とし、その場所に乗り込んでゆくという方法でした。当時、ホテルや宿泊施設は白人専用だったため、黒人の家に泊めてもらうことも多く、自身の才覚と篤い信仰心を頼りに旅を続けました。


ベッシー・ストリングフィールド

旅の途中、寝る場所がないときは、ガソリンスタンドでバイクに体を乗せて眠り、そのためバイクのパーツを戦略的に配置しました。

当時の女性としては規格外の存在だったため、人々は自分の住む町にベッシーが現れると強い反発を覚えたと言われています。

身長は5フィート(約150cm)以下であったことも伝えておきましょう。

また、ベッシーはカーニバルやオートバイの集会にも顔を出し、バイクで手の込んだ芸を披露しては小遣い稼ぎをしていたという話もよく聞かれます。レースで優勝し、ヘルメットを脱いだら賞金をもらえなかったという逸話もあります。

こういったストーリーは、彼女のことを直接知り賞賛した人々によって愛情たっぷりに記録されているため、否定しがたいものがあります。

しかし、第二次世界大戦中に民間の派遣ライダーとして働いたことや、20年以上看護師として従事したことなど、生涯に渡っての仕事の側面については、あまり知られていません。

数多く所有したハーレーも、仕事場への移動手段であると同時に、その場を離れ幸福を感じるための逃避行の手段でもあったことでしょう。

彼女自身最もよく聞かれた質問は、「どうしてそんなことができたの?あの時代に、あの場所で!」というものでしたが、答えは終始一貫していました。

その点、彼女は幼い頃から非常に揺るぎない信念を持っていました。カトリックに入信すると、それは彼女にとって特別な支えとなり、旅の先々でも身近に感じるものだったようです。

実のところ、バイクに自分一人で乗っているのではなくて、「上の人」と一緒に乗っていると感じていました。証言によると、彼女は忍耐力があり非常にオープン、勇敢であると同時に稀に見る精神的な余裕と気概を持っていたそうです。

要するに、ベッシーは、高速道路、グリーンブック(ジム・クロウ法時代、アフリカ系アメリカ人のための自動車旅行ガイド)、人種差別撤廃と公民権運動、携帯電話や911(電話番号)が現れる前に、何千マイルも走破したのです。

ベッシーは体力的にもう無理だと思うまで走り続け、晩年は心臓病を患ったためにバイクから遠ざかりました。そして、1993年に他界しましたが、9年後の2002年にバイク文化への貢献を讃えられ、AMAモーターサイクル(アメリカン・モーターサイクリスト・アソシエーション)の殿堂入りを果たしました。

上の写真では、彼女はとても楽しそうに見えます。その他の写真に加え、彼女の人生、旅、精神性に関する記録が、友人で伝記作家のアン・フェラーによって一冊の本『Hear Me Roar』にまとめられました。(※日本語版はなく詳細はbessiestringfieldbook.comをご覧ください)

他界してからも多くの人々に讃えられてきましたが、特に画期的な取り組みとしては、2014年にベッシーの歴史的ライドを記念して、独自のクロスカントリーライドを始めた女性バイカーグループ、ベッシー・ストリングフィールド・オール・フィーメイル・ライド(Bessie Stringfield All Female Ride)が挙げられるでしょう。

第8回目にして最後のライドは2021年6月に開催され、10日間でアメリカ48州を走破しました。このグループは現在も、各地の女性バイカーたちを結び付け、サポートするために存在しています。

それでは、彼女たちのモットーをもって本記事を終えたいと思います。

We pound for Bessie!(ベッシーに拍手喝采!)

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