〜旅を通して世界にインスピレーションを与えたカリスマシェフ〜
世界中で愛されたシェフで作家、旅行家のアンソニー・ボーディンが自ら命を絶ってからはや4年が経ちました。
今なお時に人生を変えるほどの大きなインスピレーションを人々に与え続けるトニーは、音楽、ビジュアルアート、オートバイの愛好家でもありました。
今回は、シェフで作家という肩書を超えて活躍の場を広げていく様子を振り返りながら、どんなことを学べるかについて考えてみました。
元々マンハッタンの高級レストランのシェフとして厨房を切り盛りしていたトニーは、2000年、43歳の時にベストセラーとなる回顧録『キッチン・コンフィデンシャル』を出版しました。
それまでに既に2つの小説を出版していましたが、『キッチン・コンフィデンシャル』は瞬く間にベストセラー化し、テレビ番組で活躍するようになりました。
けれども、それは名声への階段を駆け上がる序章にすぎませんでした。
テレビ番組に初登場したのは、2002年にFood Networkで放送された「A Cook's Tour」。日本、カンボジア、ベトナムといったエキゾティックな土地の食のエピソードで幕を開け、カラフルな料理、会話などが刺激的に描かれ人気を博しました。
カリスマ性のあるフォトジェニックなシェフが、遠く離れた場所を訪れては、様々な料理を食するという番組では、ショッキングな食べ物も数々紹介されました。
例えば...
シリーズ第3話では、ホーチミンの市場で孵化前の雛ごと茹でた卵を食べました。感想は、また食べようとは思わないけれど、悪くはないというもの。同じ回の後半では、今さっきまで生きていたコブラの未だ脈打つ心臓を飲み込み、血や胆汁、皮膚などフルコースを味わいました。
トニーがシェフや作家としてだけでなく、テレビに映し出される旅人という新しい役割に慣れていくにつれ存在感は増してゆき、食だけでなく多くのことが語られるようになりました。
「ノー・リザベーションズ」や「レイオーバー」といった旅行番組に出演したり、ウイスキー会社「ザ・バルヴェニー」をスポンサーに、世界中の一流の職人を訪ねる「Raw Craft」というウェブシリーズも誕生しました。
番組を見ていただくと分かりますが、トニーは出会った人たちと直に触れ合い、誰をも魅了し、繋がることが得意でした。
でも実際には、モーガン・ネヴィル監督による2021年の伝記映画「ロードランナー」で、同僚や友人たちが語っているように、内向的な性格も持ち合わせていたようです。特にテレビ出演初期の頃はそうでした。
しかし、世界中の人々に愛された彼の性格は演技ではなく、優れたジャーナリストのように、誰からも信頼を得ることができました。
そして、常に素材に信憑性を持たせるよう努めました。タクシーの運転手、政治家、歴史家、芸術家など、どんな人とでも食事をして話をしました。番組はその人間性をもって知られるようになったのです。
トニーは、食べ物には常にバックグラウンド〜人や場所、政治や歴史、芸術など〜があることを認識していました。
しかし、テレビ出演の増えた人生後半は困難に見舞われ、年の3分の2は常に飛行機で移動していたため、私生活に支障をきたしていました。
また、訪れた土地の悲惨な歴史に接することで、既に抱えていた精神的な苦しみが悪化することもあったかもしれません。そうして物理的にも精神的にも孤立するようになりました。
一般的にクリエイターが抱えがちな孤独と共通するものもあったでしょう。
トニーは白人であり、大変リッチな有名人であったことも忘れてはなりません。
クラシック音楽やロックを好み、映画『黙示録』や、その原典ともいえる小説『闇の奥』に傾倒したり、白人男性であることから無縁ではいられなかったのです。
両作品とも、白人男性がジャングル、戦争中のベトナム、コンゴをナビゲートしながら、自分自身の「闇」に対処していくという内容です。いずれもその土地の人々の人間性を奪っていることが問題とされています。
「A Cook's Tour」のオープニングクレジットは、トニーによるナレーションで、 "I am looking for extremes of emotion and experience "(極限のエモーションと体験を求めて)というキャッチフレーズでした。
しかし、本当の意味での極限は、チームとともにコンゴを含む遠隔地や危険な場所に挑んだときに訪れたように思われます。そこで人間の苦しみを忠実に記録することが求められ、それに対し非常に無防備に向かって行きました。精神的にもきつかったであろうと思われます。
トニーの功績を挙げると、白人男性としての特権に悩まされていたとまでは言わないまでも、そのことを自覚していたことです。
そして、映された場所や人々に語らせていることも世界的に評価されています。
このことについて、トニー自身は「少なくとも私にできることといえば...開かれた目で世界を見ることである」と述べています。
彼の作品が今も心に響くのには理由があります。
あるエピソードの中で「人生とは、最高であり生き生きとしているものだが、そこにはしばしば恐怖と興奮が混在している」と語っています。
恐怖を感じながらも一歩踏み出すことの価値を教えてくれます。
彼の作品は、内戦で荒廃したレバノンのベイルートであれ、ミシシッピ・デルタの荒涼とした地域であれ、様々な土地とそこに住む人々の現実、その脆弱性を浮かび上がらせていて考えさせられます。
旅の記録から優れた作品を生み出そうと望む者にとっては、まだまだ学ぶべきことがたくさんあることでしょう!
それではまた!